自己評価は本来ならば自分を成長させる為に必要である事なんです。
しかし
社会においての評価とは他者が評価する事で自分の社会的地位が決まってしまいます。
その始まりとして幼少期から植え付けられたのがテストの点数での順位。5段階での通知表など。
学力や生活態度での評価がこの頃から決まってしまうんです。
社会人になっては役職や給料が自分の評価として現れてくるでしょう。
人間界で集団生活をするにおいて他者からの評価というのは避けては通れません。
評価といってもさまざま
- 見た目が良い
- 歌が上手い
- 運動が出来る
- オシャレ
- 仕事が出来る
など挙げればキリが無い程にありますが全て他者評価の先に得られるんです。
会社に勤めれば会社内での他者評価・起業すれば取引先やお客様からの他者評価
自分がしたくなくても他者からの評価というのは生きている限りは避けられないでしょう。それを念頭において考えます。
"恋愛や仕事において自己評価は危険"
"自分のスキルを上げる為"に自己分析し今の自分を自己評価する事で自分に足りないものや自分が苦手な事が見えてくるので、そこを改善し努力する事で更に他者評価にも繋がるのが良い自己評価なんです。
評価は他者がして初めて何か得られると理解しているからこそ、自分のスキルアップの為にする自己評価なので、ここに謙遜はあっても過信などは必要ないのです。
何故ならば過信からは何も得る事は出来ず無意味だから。
"悪い自己評価の例もある"
特徴として必ずと言って良いほどに根拠がない。
要は自己評価の裏に努力と実績という裏付けがないんです。
- 自分は出来る
- すごく頑張っている
- こんなにもやってる
などが潜在的にあります。
- こんなにやってるのに何故理解してくれないんだ。
- こんなに頑張ってるのに何故伝わらない。
- こんなに努力しているのに
など
"承認欲求"が先行してしまい"実績"や"結果"が出ていない状態での頑張りを認めて欲しい事からこの感情は生まれます。
本来、自己評価というのは自分を成長させる為に行う事であって自分を認めてもらう為に行う事ではありません。
- 良い自己評価の場合
自己分析をして自分を成長させる事で実績や結果が得られ自然と他者の評価に繋がる。
- 悪い自己評価の場合
頑張ってるから認めてもらいたい。実績や結果は考えてない。とにかく自分は頑張っている。周りに認めてもらいたい。
"矢印が自分に向いているのか他者に向いているのかが大事"
自分を成長させる為に頑張っていれば自然と他者に評価され認めてられています。
ですので過信した自己評価は、自分は頑張っているから認めて欲しいと独りよがりで結果に結びつかない。
謙遜した自己評価は、他者が認めてくれるまで頑張る事で自然と結果に結びつくでしょう。